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◇ DATA ◇





誦(しょう) 句(く) 集(しゅう)   (引用文献 : 藤平光一著 『誦句集』 財団法人氣の研究会、2003年8月1日)
一、座右の銘

二、我が人生の存在価値

三、氣に合するの道

四、心身統一

五、臍下の一点

六、リラックス

七、落ち着き

八、プラスの人生

九、潜在意識

十、争わざるの理
十一、氣の本質

十二、氣の体操法

十三、静動一致

十四、不動心

十五、氣の呼吸法

十六、氣圧法

十七、霊性心

十八、求道心

十九、念の力

二十、陰徳
二十一、説道

二十二、氣のテスト




 一、座右(ざゆう)の 銘(めい)

 万有(ばんゆう)を愛護(あいご)し、万物(ばんぶつ)を育成(いくせい)する天地(てんち)の心(こころ)を以(もっ)て、我(わ)が心(こころ)としよう。
 心身(しんしん)を統一(とういつ)し、天地(てんち)と一体(いったい)となる事(こと)が我(わ)が修行(しゅぎょう)の眼目(がんもく)である。

     心身統一(しんしんとういつ)の四大原則(よんだいげんそく)
 一、臍下(せいか)の一点(いってん)に心(こころ)をしずめ統一(とういつ)する。
 二、全身(ぜんしん)の力(ちから)を完全(かんぜん)に抜(ぬ)く。
 三、身体(からだ)の全(すべて)ての部分(ぶぶん)の重(おも)みを、その最下部(さいかぶ)におく。
 四、氣(き)を出(だ)す。
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 二、我(わ)が人生(じんせい)の存在価値(そんざいかち)
 我(わ)が生命(せいめい)は天地(てんち)の氣(き)より生(しょう)じたのである。草木動物(そうもくどうぶつ)としてではなく、万物(ばんぶつ)の霊長(れいちょう)としてこの世(よ)に生(せい)を享(う)けた事(こと)を感謝(かんしゃ)しよう。
 天地(てんち)の生成発展(せいせいはってん)の大経綸(だいけいりん)に参画(さんかく)し、我(わ)が使命(しめい)を完遂(かんつい)する事(こと)を誓(ちか)おう。
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 三、氣(き)に合(がっ)するの道(みち)

 絶対(ぜったい)の天地(てんち)は一(ひと)つ、これを称(しょう)して氣(き)という。我(わ)が生命(せいめい)も肉体(にくたい)も、天地(てんち)の氣(き)より生(しょう)じたのである。
 我(われ)れ、天地(てんち)の理(り)を学(まな)び、天地(てんち)と共(とも)にあり、何(なに)をか憂(うれ)い何(なに)をか怖(おそ)れん。
我(わ)が進(すす)む道(みち)は、如何(いか)なる障碍苦難(しょうげくなん)もはばむ事(こと)の出来(でき)ない天地(てんち)の大道(だいどう)である。
 自(みずか)らかえりみて縮(なお)くんば、千万人(せんまんにん)と雖(いえど)も我(わ)れ征(ゆ)かむの氣概(きがい)をもとう。
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 四、心身統一(しんしんとういつ)
 心身(しんしん)は本来一如(ほんらいいちにょ)である。
 氷山(ひょうざん)の一角(いっかく)のみを我(わ)が力(ちから)と思(おも)い、その非力(ひりょく)を嘆(なげ)くこと勿(なか)れ。
 心身(しんしん)を統一(とういつ)し、天地(てんち)に任(まか)せ切(き)った時(とき)、人間本来(にんげんほんらい)の偉大(いだい)なる力(ちから)を発揮出来(はっきできる)るのである。
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 五、臍下(せいか)の一点(いってん)
 天地(てんち)は無限(むげん)の半径(はんけい)で画(えが)いた無限(むげん)の円周(えんしゅう)である。これを集約(しゅうやく)したものが我(わ)れであり、更(さら)に集約(しゅうやく)したものが臍下(せいか)の一点(いってん)である。
 我(わ)れは、天地(てんち)の中心(ちゅうしん)の一点(いってん)を、下腹(したはら)に包蔵(ほうぞう)しているのである。
 この一点(いってん)に心(こころ)をしずめて統一(とういつ)し、天地(てんち)に向(むか)って無限(むげん)の氣(き)を発(はっ)しよう。
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 六、リラックス
 徒(いたず)らに不要(ふよう)の神経(しんけい)を煩(わずら)わし、毛細血管(もうさいけっかん)を収縮(しゅうしゅく)し、体内(たいないく)の不純物(ふじゅんぶつ)を除去(じょきょ)する道(みち)をとざし、諸々(もろもろ)の病(やま)いに苦(くる)しむのが世(よ)の人(ひと)の常(つね)である。
 リラックスこそ、不老長寿(ふろうちょうじゅ)の妙薬(みょうやく)である。事(こと)に臨(のぞ)んで動(どう)ぜず、常(つね)に春風駘蕩(しゅんぷうたいとう)たる、真(しん)のリラックスの道(みち)を世(よ)の人々(ひとびと)に知(し)らしめよう。
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 七、落(お)ち着(つ)き
 物体(ぶったい)の重(おも)みが、その落(お)ち着(つ)く可(べ)き所(ところ)、即(すなわ)ち、最下部(さいかぶ)に落(お)ち着(つ)いた身体(からだ)の状態(じょうたい)を落(お)ち着(つ)きという。
 月来(つききた)れば月映(つきえい)じ、鳥来(とりきた)れば鳥映(とりえい)ず。波静(なみしず)まった水面(すいめん)の如(ごと)く、万物明(ばんぶつあき)らかに映(えい)ずる心(こころ)の状態(じょうたい)を落(お)ち着(つ)きという。
 人間(にんげん)は本来落(ほんらいお)ち着(つ)いているのが当(あ)り前(まえ)である。この理(り)を悟(さと)ってこそ、真(しん)の落(お)ち着(つ)きを得(え)るのである。
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 八、プラスの人生(じんせい)
 絶対(ぜったい)の天地(てんち)は一(ひと)つである。ここに二(ふた)つの相反(あいはん)する作用(さよう)が現(あら)われ、相対的世界(そうたいてきせかい)が生(しょう)じたのである。
 これを東洋(とうよう)では陰陽(いんよう)の理(り)といゝ、西洋(せいよう)ではプラス・マイナスという。
 明(あか)るい活(い)き活(い)きとした人生(じんせい)をプラスといゝ、陰氣(いんき)なじめじめした人生(じんせい)をマイナスという。以後一切(いごいっさい)のマイナスの観念(かんねん)を排除(はいじょ)し、プラスの人生(じんせい)に邁進(まいしん)しよう。
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 九、潜在意識(せんざいいしき)
 現在意識(げんざいいしき)は、過去(かこ)の経験知識(けいけんちしき)の集積(しゅうせき)である、潜在意識(せんざいいしき)より出(だ)された材料(ざいりょう)によって組立(くみた)てられる。
 我(わ)が心(こころ)の倉庫(そうこ)である潜在意識(せんざいいしき)に、以後一切(いごいっさい)のマイナスの事柄(ことがら)を入(い)れることを止(や)めよう。
 常(つね)にプラスの氣(き)を堅持(けんじ)し、積極的精神(せっきょくてきせいしん)で我(わ)が人生(じんせい)を闊歩(かっぽ)しよう。
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 十、争(あらそ)わざるの理(り)
 絶対的天地(ぜったいてきてんち)に争(あらそ)いはなく、相対的世界(そうたいてきせかい)にのみ争(あらそ)いは生(しょう)ず。
 我(わ)れ、心身(しんしん)を統一(とういつ)して天地(てんち)と一体(いったい)となり、天地(てんち)の理(り)を実行(じっこう)するならば、人自(ひとおのずか)ら我(わ)れに従(したが)う。
 生存競争(せいぞんきょうそう)、弱肉強食(じゃくにくきょうしょく)という勿(なか)れ。真(しん)の成功(せいこう)の道(みち)は、争(あら)わざるの理(り)、即(すなわ)ち、平和(へいわ)への道(みち)と全(まった)く同一(どういつ)の道(みち)である。
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 十一、氣(き)の本質(ほんしつ)
 総(すべ)て物(もの)を計(はか)るには、1を以(もっ)て始(はじ)めとす。これを無限(むげん)に集約(しゅうやく)しても、遂(つい)には零(ぜろ)とはならない。零(ぜろ)より1は生(しょう)じ得(え)ないからである。
 この無限(むげん)に小(しょう)なるものゝ、無限(むげん)の集合体(しゅうごうたい)を総称(そうしょう)して氣(き)という。
 天地(てんち)の氣(き)を集約(しゅうやく)したものが我(わ)れであり、更(さら)に集約(しゅうやく)して臍下(せいか)の一点(いってん)となり、更(さら)に無限(むげん)に集約(しゅうやく)して止(とど)まることなき所(ところ)、始(はじ)めて、天地(てんち)と一体(いったい)となり、氣(き)の本質(ほんしつ)を体得(たいとく)し得(う)るのである。
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 十二、氣(き)の体操法(たいそうほう)
 静中(せいちゅう)の統一(とういつ)は未(いま)だ易(やさ)し。動中(どうちゅう)に尚統一(なおとういつ)を乱(みだ)さざるが真(しん)の統一(とういつ)である。
 氣(き)の体操法(たいそうほう)は、常住坐臥(じょうじゅうざが)、常(つね)に心身統一(しんしんとういつ)を保持(ほじ)する為(ため)の運動(うんどう)である。
 これを日常万般(にちじょうばんぱん)に活用(かつよう)してこそ、総(すべ)てに於(お)いて人間最高(にんげんさいこう)の能力(のうりょく)を発揮出来(はっきでき)るのである。
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 十三、静動一致(せいどういっち)
 コマが激(はげ)しくまわる時静(ときせい)に帰(き)する如(ごと)く、静(せい)は動(どう)の極致(きょくち)である。
 台風(たいふう)の眼(め)の静(しず)かなる如(ごと)く、動(どう)は静(せい)によってその力(ちから)を得(え)る。正(まさ)に静動一致(せいどういっち)である。
 常(つね)に臍下(せいか)の一点(いってん)に心(こころ)をしずめて統一(とういつ)してこそ、忙中閑(ぼうちゅうかん)を生(しょう)じ、大事(だいじ)に臨(のぞ)んで平常心(へいじょうしん)を失(うしな)わず、事(こと)に臨(のぞ)んで、驚天動地(きょうてんどうち)の働(はたら)きを成(な)し得(え)るのである。
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 十四、不動心(ふどうしん)
 真(しん)の不動心(ふどうしん)とは、動(うご)かざる心(こころ)ではなく、あまりに動(うごき)きが強(つよ)く極小(きょくしょう)になって、動(うご)かざる状態(じょうたい)に無限(むげん)に近(ちか)くなっていく状態(じょうたい)、即(すなわ)ち、無限(むげん)の動(どう)を含(ふく)む静(せい)の状態(じょうたい)である。
 この極小(きょくしょう)になっていく無限(むげん)の動(うご)きに総(すべ)てを吸収(きゅうしゅう)し尽(つく)して、始(はじ)めて、万山崩(ばんざんくず)るゝとも動(どう)ぜざる不動心(ふどうしん)を得(え)るのである。
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 十五、氣(き)の呼吸法(こきゅうほう)
 出(い)づる息(いき)は天地(てんち)よろず世(よ)に及(およ)び、入(い)る息(いき)は腹内(ふくない)の寸分(すんぶん)のうちにおさまる。氣(き)の呼吸法(こきゅうほう)は、心身統一(しんしんとういつ)の秘法(ひほう)である。
 夜来(やらい)、天地静(てんちしず)まり寂(じゃく)として声(こえ)なき時(とき)、独(ひと)りこれを行(おこな)えば、我(わ)れが天地(てんち)か天地(てんち)が我(わ)れか、即(すなわ)ち、天地(てんち)と一体(いったい)となる至妙境(しみょうきょう)に至(いた)る。
 この時(とき)、人間本来(にんげんほんらい)の生命力(せいめいりょく)が、最高(さいこう)に活動(かつどう)するのである。
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 十六、氣圧法(きあつほう)
 我(わ)れは心身統一(しんしんとういつ)の法(ほう)を学(まな)び、 氣(き)の呼吸法(こきゅうほう)を会得(えとく)し、天地(てんち)の氣(き)を、何時如何(いついか)なる時(とき)と雖(いえど)も五体(ごたい)に吸収(きゅうしゅう)し得(う)る秘法(ひほう)を会得(えとく)している。
 井戸(いど)のポンプの水(みず)が跡絶(とだ)えた時(とき)、呼(よ)び水(みず)を以(もっ)て新(あら)たに水(みず)を引(ひ)き出(い)だす如(ごと)く、病苦悲運(びょうくひうん)に苦(くる)しむ人々(ひとびと)に、我(わ)が氣(き)を以(もっ)て補(おぎな)い、幸福(こうふく)の道(みち)に再出発(さいしゅっぱつ)せしむる転機(てんき)を与(あた)えよう。
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 十七、霊性心(れいせいしん)
 我々人間(われわれにんげん)は、天地(てんち)と直結(ちょっけつ)する心(こころ)を与(あた)えられている。これが霊性心(れいせいしん)である。
 水定(みずさだ)まって月明(つきあき)らかに映(えい)ず。心静(こころしず)まった時(とき)、霊性心(れいせいしん)が照々乎(しょうしょうこ)として発露(はつろ)するのである。
 この心一度(こころひとた)び発(は)するや、如何(いか)なる煩悩邪欲(ぼんのうじゃよく)もその影(かげ)をひそめ、万有愛護(ばんゆうあいご)の天地(てんち)の心(こころ)が輝(かがや)き出(い)づるのである。我(わ)が霊性心(れいせいしん)を磨(みが)き出(だ)そう。
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 十八、求道心(きゅうどうしん)
 天地(てんち)の道(みち)を明(あき)らめ、天地(てんち)の道(みち)を実行(じっこう)せんとする心(こころ)、これを求道心(きゅうどうしん)という。
 犬猿如何(けんえんいか)に怜悧(れいり)なりと雖(いえど)も、遂(つい)に天地(てんち)の心(こころ)を知(し)る能(あた)わず。独(ひと)り人類(じんるい)の有(ゆう)する特権(とっけん)である。幸(さいわ)いなるかな求道心(きゅうどうしん)のある者(もの)、これ正(まさ)に万物(ばんぶつ)の霊長(れいちょう)たる資格(しかく)を有(ゆう)する証左(しょうさ)である。
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 十九、念(ねん)の力(ちから)
 一念凝(いちねんこ)る所巖(ところいわお)をも透(とう)し、一念発(いちねんはっ)する所風雨雷霆(ところふううらいてい)をも叱咤(しった)する。この心何処(こころいずこ)より発(はっ)するや。大事(だいじ)を成就(じょうじゅ)せし者(もの)は、必(かなら)ずこの力(ちから)を体得(たいとく)せし者(もの)である。
 分子(ぶんし)より原子電子(げんしでんし)と、心(こころ)の波(なみ)を無限(むげん)に極小(きょくしょう)に鎮(しず)めて統一(とういつ)し切(き)った時(とき)、
天地(てんち)に通(つう)ずる偉大(いだい)なる念(ねん)の力(ちから)を生(しょう)ずるのである。
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 二十、陰徳(いんとく)
 1を無限(むげん)に縮小(しゅくしょう)しても零(ぜろ)にならぬ如(ごと)く、一(ひと)つの言動(げんどう)も、一旦発(いったんはっ)せられたる以上永久(いじょうえいきゅう)に消(き)える事(こと)はない。
 善因善果(ぜんいんぜんが)、悪因悪果(あくいんあくが)となって、必(かなら)ず我(わ)が身(み)にかえる。
 我(わ)が幸福(こうふく)、子孫(しそん)の繁栄(はんえい)を願(ねが)う前(まえ)に、人(ひと)の見(み)ざる所(ところ)、報(むく)いを求(もと)めざる所(ところ)に善因(ぜんいん)を積(つ)まねばならぬ。これを陰徳(いんとく)という。
 而(しか)して陰徳(いんとく)の最(さい)たるものは、天地(てんち)の道(みち)を行(ぎょう)じ、人(ひと)を導(みちび)いてこれを行(おこ)なわしむる事(こと)である。
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 二十一、説道(せつどう)
 利己(りこ)の人(ひと)にて大道(だいどう)を成就(じょうじゅ)するものはない。天地(てんち)の理(り)を悟(さと)り、天地(てんち)の大道(だいどう)を会得(えとく)したならば、これを普(あまね)く世(よ)に知(し)らしめる義務(ぎ)を天地(てんち)より与(あた)えられている。
 我(わ)れに人(ひと)を救(すく)う力(ちから)なしという勿(なか)れ。一日学(いちにちまな)べば既(すで)に一日(いちにち)の師(し)である。世(よ)には、道(みち)に迷(まよ)い、心(こころ)の病(やま)いに苦(くる)しむものが充満(じゅうまん)している。
 我(わ)が全力(ぜんりょく)を尽(つく)し、人(ひと)の為(ため)に正(ただ)しきを説(と)こう。
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 二十二、氣のテスト
 心(こころ)は色(いろ)もなく、匂(にお)いもなく、形(かたち)もなく、捉(とら)えようもないもの。
 しかし、心身(しんしん)は一如(いちにょ)である故(ゆえ)に、捉(とら)えられる身体(からだ)をテストする事(こと)によって、捉(とら)えられない心(こころ)の状態(じょうたい)を知(し)ることが出来(でき)る。これが、氣(き)のテストである。
 氣(き)のテストは強弱(きょうじゃく)を論(ろん)ずるテストではない。これを行(おこな)う者(もの)は、先(ま)ず、自(みずか)ら心身(しんしん)を統一(とういつ)し、正(ただ)しいテストを行(おこな)い、相手(あいて)に心(こころ)の状態(じょうたい)を知(し)らしめる事(こと)が肝要(かんよう)である。
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